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2017.12.13
つぶやき
【宮下奈都さんの新刊エッセイ集 入荷しました!『緑の庭で寝ころんで』】本店
宮下奈都さんの新刊エッセイ集『緑の庭で寝ころんで』が発売になりました!!
福井新聞社『fu』で連載の「緑の庭の子どもたち」4年分が完全収録されているほか、本屋大賞受賞についてや、読書日記、単行本初収録の創作など、宮下さんのあゆみがたくさん詰まった宝箱のような1冊です。

やさしくて、穏やかで、おもしろくて、ふんわりとやわらかいのに、どこか凛としていて・・・個人的な印象ですが、まるで宮下さんの人柄そのものみたいな雰囲気のエッセイ集だと思います。
読んでいると、宮下さんや宮下さんのご家族、いろんな人たちの笑顔が浮かんできて、こちらも自然と笑顔になりました。
3人の子どもさんたちが、素直でおもしろくて、すごくかわいいです。特に娘さんのかわいさ!何度も笑い、何度も癒されました。

笑顔とよろこび、そして、しあわせいっぱいのエッセイ集です。しあわせって、思ったよりもすぐ近くにあるものなのかもしれません。そんなことを思って、なんだかワクワクしてきました。

宮下さんファンの方がこのエッセイ集を読めばきっと、今よりもっと宮下さんのことが好きになると思います。宮下さんの小説を読んだことのない方が読めばきっと、宮下さんの小説を読んでみたくなると思います。担当者が心からおすすめいたします。

『緑の庭で寝ころんで』、実業之日本社、1728円、9784408537177
2017.12.12
つぶやき
【もうすぐクリスマス】SuperKaBoS新二の宮店
《 もうすぐクリスマス。
  KaBoS新二の宮店では、みなさんからサンタさんへの
  お手紙を募集しています。
  お店の入り口にある紙にサンタさんへお手紙をかいて
  クリスマス☆ツリーに貼り付けてください。
  きっとサンタさんが見にきてくれますよ♪ 》
2017.12.11 つぶやき
歴史への招待 80) 呉漢
呉漢は、漢(前漢)末期南陽郡苑県の人で、城外の彭(ほう)氏の農場で働く雇人に過ぎなかった。
「赤貧洗うがごとし」。父はすでに亡く、母と兄、弟の四人暮らしだが、食費の負担を減らすために農場の長屋に住み込みで働いていた。

家を支えるために働き続けるしかない呉漢には、何の希望もない。しかし己の境遇を嘆くこともなく、他に怨嗟の目を向けることもなく、ただ黙々と耨(くわ)を振い土だけを見ていた。

そんな呉漢を、彭氏の長子彭寵を訪れた、彭寵の学友潘臨(はんりん)が見ていた。
潘臨は、呉漢に「たまには天を仰ぐべき。それでなくば地をうがつほどみつめるべきである。人が念う力は、小石を黄金に変える」と言った。

潘臨の儒者風の言動が気に入らず、腹を立て、またわが身の学のなさを痛感し哀しみに覆われた呉漢だったが、潘臨が彭寵に呉漢の働きぶりと人柄を好感をもって伝えたため、彭寵に認められ農場の若者を監督する立場になった。

立場が人を育てる。それまで人とのかかわりを拒むかのように寡黙で、ただ黙々と耨を振うだけの呉漢だったが、若者達には厳しく接しつつも、またよく彼らの話の聞き役となった。
呉漢には、人を見抜く目と人を引付ける力がある。
特別のことをしているようには見えないが、農場内の雰囲気が変わり、若者たちだけでなく、皆がきびきび働くようになり、農場は豊作となった。

この後、漢(前漢)は王莽の簒奪により新に変わった。
ある日、郷里の父老に供なわれ県庁に赴くと、意外にも亭長(官吏の休息所所長兼警察署長)に任命された。
これも、新野県の県宰(県令)となった潘臨の推挙によるものだった。

亭長は、訴訟なども取り扱うので司法の知識がいる。農場で知り合った不思議な知識人、祇登(きとう)先生が助けてくれた。その他従者となって呉漢を支えたのも農場で共に働いていた角斗と魏祥だったが、この三人は、この後も終生呉漢と共にあり、掛け替えのない師であり友となる。

亭長としての生活に馴染んだかと思う間もなく、故あって亭長を辞めざるをえなくなるが、紆余曲折を経て、北の彼方幽州安楽県の県令になる。
田舎の警察署長が、いきなり市長になったようなものだが、これも農場時代の友人、韓鴻の推挙によったのだ。

王莽の新は、急激な改革の嵐をもたらし、たちまち民心を失い各地で反乱が興る。
その中に、南陽の劉氏兄弟があった。弟劉秀は、王莽の新を滅ぼし皇帝として立った一族の劉玄に兄を誅されたが、恨みの色すら見せず更始帝のために働き、功を誇ることがない。

河北平定の為、幽州の南、冀州まで軍を進めていた劉秀だったが、邯鄲に漢の成帝の末裔を称する劉子輿が立ち、たちまち華北を席巻し、劉秀は窮地に陥った。

その時、呉漢は風聞に惑わされることなく、冷静に両者の行動を見極め、劉秀支援にまわった。
幽州の騎兵を率いた呉漢らの救援を得た劉秀は、劉子輿を倒し、皇帝として立つ。
人との出会いが、人の運命をも変える。劉秀は、呉漢を得たことで漢(後漢)を復興し光武帝となり全国を再統一した。
呉漢も、劉秀との出会いにより、後漢の大司馬(国防大臣)にまで昇る。
皇帝を信頼し、信頼され、一途に国と民を思い続けることで、呉漢は小石から黄金にかわったのだった。


「呉漢」上巻 宮城谷昌光著 中央公論新社 978412005018
「呉漢」下巻 978412005019


橋本
2017.12.06 つぶやき
歴史新刊「蒙古襲来と神風」
「蒙古襲来と神風」 服部英雄著 中公新書 978412102461

日本史の教科書にも載っている「元寇」。
文永の役では、「てつはう:鉄砲」などの新兵器や集団戦法で日本側は苦戦するが、野営を嫌い船に引き上げた蒙古軍を暴風雨が襲い一日で退けた。
弘安の役でも、集結する船団を、またも暴風雨が襲い蒙古軍を全滅させたことになっている。

本当の元寇は、どうだったのか。
何故、フビライは日本を攻めたのか?から始まり、本当に神風は吹いたのかを、通説を検証しながら、歴史の真実に迫る。
2017.12.01 つぶやき
歴史への招待 79) 宗麟の海
大友五郎義鎮(よししげ)、後の宗麟は、幼い時から心臓の病気を抱え、病弱な子として周りから険しい目でみられてきた。
そのためもあり、義鎮が二十一歳になっても、父義鑑(よしあき)は跡継ぎを決めようとしない。
義鎮には,異母弟で十九歳なる八郎晴英と、年若い側室から生まれた三歳の塩市丸がいて、父義鑑は塩市丸を溺愛していた。

義鎮自身は、家督に執着していない。八郎でも塩市丸でも、父の望む跡継ぎを決めればよい。
しかし、周囲がそれを許さなかった。
あるとき、父より柞原八幡宮への代参を頼まれたが、義鑑は義鎮が留守の間に、塩市丸を世継と定め、義鎮を押す重臣を誅殺した。しかも義鎮暗殺を計ったのだ。

未然に計画を察知した義鎮は、かろうじて危難を免れたが、その後の展開は意外なものだった。
父義鑑の意を受けて、義鎮派の重臣を誅殺した一味は、返す刀で義鑑と塩市丸を襲い義鑑に重傷を負わせ、塩市丸を謀殺した。
義鑑を襲った一味は、八郎の母の出である周防の大名大内家の支援をえて、八郎に家督を継がせようと企んだのだ。

義鎮は、暗殺計画が成功したかに偽装し、密かに府内に舞い戻り、臨終まぎわの父義鑑と和解し、一味を打倒し大内家の家督を継いだ。
世に言う「大友二階崩れの変」に勝利した義鎮だったが、一門衆と地元に根を張る国衆との対立と言う、歴代当主が悩まされてきた根深い問題に直面せざる負えなかった。

若い当主は、事あるごとに結束し反抗する国衆の統率と、近隣からの外圧への対抗と、急を要し、しかも難しい対応を迫られていた。

義鎮は、一門衆を威嚇と懐柔で結束させ、謀反人を討ち、外圧の元凶大内家の支援を得た筑後の叔父菊池義武を破り、肥後の反乱も平定した。
さらに、大内義隆の家臣陶隆房と杉重矩を共謀させ、主君義隆を討たせ、父義鑑の仇をとった。
若くして、戦でも調略でも才能を発揮した義鎮は、大友家の後継者としての地位を確固たるものにしたのだった。

しかし、大内家の跡取りに、弟八郎を送り込み、長年の対立を解消できたと思うのも束の間。陶隆房が毛利元就に討たれ、大内家中は大混乱に陥る。
対応策を協議する中、家臣達は義鎮の意に反し、毛利からの誘いを受け、弟八郎を見捨てて、豊前、筑前二ヵ国を得ることを勧める。

悩みの末、義鎮は家臣の意志を尊重するが、これがその後の災いの元となった。
毛利との協調は束の間で、元就は和睦と進攻を繰り返し、大友家中に調略の手を伸ばし反乱を起こさせ、義鎮を悩ませ続けることになる。

苦悩に押し包まれそうになったとき思い出されるのは、ザビエルとの出会いの時、彼が義鎮に言った言葉だった。
「たとえ世界を手に入れたとしても、心が満たされなければ人は幸せにはなれない」
深く共感しながらも、洗礼を受けることは出来なかった。
逆に、家中で宗門とキリスト教信者の対立が深まるに及び、義鎮は出家し宗麟と名乗り、家中の対立・離反を防がざる負えなかった。

六か国の太守として仰がれた宗麟だが、その心のうちは、図らずもザビエルの指摘した通り、幸せとは言えないものだった。
長く辛い戦いと苦悩の果て、念願の洗礼を受け、信仰に生き心に平安を得ることが出来たのは、ずっと後のことでした。


「宗麟の海」安部龍太郎著 NHK出版 978414005690


橋本