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K-ボイス

歴史への招待 79) 宗麟の海

2017/12/01 6:02:

大友五郎義鎮(よししげ)、後の宗麟は、幼い時から心臓の病気を抱え、病弱な子として周りから険しい目でみられてきた。
そのためもあり、義鎮が二十一歳になっても、父義鑑(よしあき)は跡継ぎを決めようとしない。
義鎮には,異母弟で十九歳なる八郎晴英と、年若い側室から生まれた三歳の塩市丸がいて、父義鑑は塩市丸を溺愛していた。

義鎮自身は、家督に執着していない。八郎でも塩市丸でも、父の望む跡継ぎを決めればよい。
しかし、周囲がそれを許さなかった。
あるとき、父より柞原八幡宮への代参を頼まれたが、義鑑は義鎮が留守の間に、塩市丸を世継と定め、義鎮を押す重臣を誅殺した。しかも義鎮暗殺を計ったのだ。

未然に計画を察知した義鎮は、かろうじて危難を免れたが、その後の展開は意外なものだった。
父義鑑の意を受けて、義鎮派の重臣を誅殺した一味は、返す刀で義鑑と塩市丸を襲い義鑑に重傷を負わせ、塩市丸を謀殺した。
義鑑を襲った一味は、八郎の母の出である周防の大名大内家の支援をえて、八郎に家督を継がせようと企んだのだ。

義鎮は、暗殺計画が成功したかに偽装し、密かに府内に舞い戻り、臨終まぎわの父義鑑と和解し、一味を打倒し大内家の家督を継いだ。
世に言う「大友二階崩れの変」に勝利した義鎮だったが、一門衆と地元に根を張る国衆との対立と言う、歴代当主が悩まされてきた根深い問題に直面せざる負えなかった。

若い当主は、事あるごとに結束し反抗する国衆の統率と、近隣からの外圧への対抗と、急を要し、しかも難しい対応を迫られていた。

義鎮は、一門衆を威嚇と懐柔で結束させ、謀反人を討ち、外圧の元凶大内家の支援を得た筑後の叔父菊池義武を破り、肥後の反乱も平定した。
さらに、大内義隆の家臣陶隆房と杉重矩を共謀させ、主君義隆を討たせ、父義鑑の仇をとった。
若くして、戦でも調略でも才能を発揮した義鎮は、大友家の後継者としての地位を確固たるものにしたのだった。

しかし、大内家の跡取りに、弟八郎を送り込み、長年の対立を解消できたと思うのも束の間。陶隆房が毛利元就に討たれ、大内家中は大混乱に陥る。
対応策を協議する中、家臣達は義鎮の意に反し、毛利からの誘いを受け、弟八郎を見捨てて、豊前、筑前二ヵ国を得ることを勧める。

悩みの末、義鎮は家臣の意志を尊重するが、これがその後の災いの元となった。
毛利との協調は束の間で、元就は和睦と進攻を繰り返し、大友家中に調略の手を伸ばし反乱を起こさせ、義鎮を悩ませ続けることになる。

苦悩に押し包まれそうになったとき思い出されるのは、ザビエルとの出会いの時、彼が義鎮に言った言葉だった。
「たとえ世界を手に入れたとしても、心が満たされなければ人は幸せにはなれない」
深く共感しながらも、洗礼を受けることは出来なかった。
逆に、家中で宗門とキリスト教信者の対立が深まるに及び、義鎮は出家し宗麟と名乗り、家中の対立・離反を防がざる負えなかった。

六か国の太守として仰がれた宗麟だが、その心のうちは、図らずもザビエルの指摘した通り、幸せとは言えないものだった。
長く辛い戦いと苦悩の果て、念願の洗礼を受け、信仰に生き心に平安を得ることが出来たのは、ずっと後のことでした。


「宗麟の海」安部龍太郎著 NHK出版 978414005690


橋本

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