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K-ボイス

歴史への招待 74) 最低の軍師

2017/10/11 6:09:

その城は臼井城(うすいじょう)と言う。
下総国(千葉県北部)の中部に位置し、陸路は下総道の街道沿いで、水路では印旛沼から霞ケ浦、手賀沼に通じ、水陸共に交通の要の位置にあった。
臼井城城主は、原上総介胤貞(たねさだ)。北条家傘下の国衆(国人、在地領主)である。

永禄八年(1565)十一月、上杉輝虎(謙信)は、逆賊北条を打ち倒し関東を解放するとの義を掲げ、三国峠を越え関東になだれ込んだ。

北条家家臣、松田孫太郎は、配下の兵250を率いて援軍に赴いたが、あまりに少ない援軍に原家からは難色を示され、軍師を帯同しない援軍は不要と受け入れを断られそうになる。
胤貞らは、あわよくば上杉方への寝返りも視野に入れていたのだ。

止む無く、孫太郎は、道中で出会った易者(白井浄三入道)を軍師に仕立て上げ、軍評定に臨んだ。
臼井城は、周囲が平地で防禦にはむかない城で、しかもその軍勢は、近隣からの援軍を含めて二千余。一方の上杉方は、北関東の反北条勢力をを合わせて、その数は優に二、三万。全軍が臼井に向けられないとは言え、敵は少なくとも六、七千は下らないだろう。

誰が見ても不利な戦いとなることは必定。戦の鉄則から言えば、より防禦力の高い、近隣の千葉氏の居城佐倉城に一旦退き、機会をうかがうのが常套手段と言える。
しかし、原家側は、この提案に猛反発する。
策がある訳ではないが、城を捨てて生き延びるより、どんなに絶望的でも城を守ってあくまで臼井の地で戦うと言う。

城などまた取り戻せばよい。生きていればこそであり、死んでしまえば元も子もない。援軍の孫太郎には原家側の心理が理解できない。
原主従の思いを教えてくれたのは、以外にも浄三だった。
浄三は、冬の間の住まいと食い扶持を求めて、孫太郎の話に乗っただけではないのか。つい先ごろも城から逃げ出そうとしていた浄三は、人が変わったように指図を始める。

孫太郎配下の小田原勢を集めて、何を指示するかと思えば、城下を隈なく歩かせる。さらに走らせる。昼も夜も。
城下の村々からは、肥を集め城内に運び込む。意味はわからないが騙されたと思って従うしかない。詐欺師まがいの易者だと思っていた浄三は、いったい何者なのだ。

孫太郎らが、防備を固めている間にも、上杉勢は着々と北関東の制覇を進め、三月初旬。遂に臼井城に押し寄せてきた。
輝虎の懐刀と言われる河田長親率いる七千。城方の意表を突き、防御の集中する城の南を避け、西を流れる手繰川を渡河し、孫太郎ら小田原勢の籠る仲台砦を襲う。

浄三は、次々と奇策を打ち出し、上杉勢をことごとく退ける。
攻防は、十余日に及び、城方は「もしや勝てるかもしれない」と思いだした頃。上杉方には新たな援軍が。輝虎自身が五千の本隊を率いて駆けつけてきた。
関東領主の寄せ集めとは、まったく違う。足軽に至るまで身じろぎ一つせず、恐ろしいまでに静まりかえる山のような一軍だ。
軍神、毘沙門天の生まれ変わりと称する輝虎率いる上杉本隊は、怒涛の洪水のように城壁を乗り越え、数日のうちに本丸を残すのみとなるほど攻め続ける。

浄三の打った最後の一手は、間に合うのか。
上杉との攻防を左右するその一手とは何か?そもそも浄三入道とは何者なのか?


「最低の軍師」箕輪諒著 祥伝社文庫 978439634354


橋本

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