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K-ボイス

歴史への招待 71) 三成の不思議なる条々

2017/09/11 5:28:

不思議な依頼である。
30年も前の関ヶ原の戦いを当時の関係者に聞き歩き、三成が西軍の旗頭になれたのは何故か。三成のいくさ手立ては上手下手か。関ヶ原の道理はどちらにあったのか。 などを纏める仕事である。

なんのために。依頼者は名も理由も明かさない。
しかも聞く先の大名衆の指定があり、その大名衆の家来を探し出して聞き歩くのだ。
筆紙商の文殊屋は、戸惑いながらも依頼を引き受けた。

一人目は、福岡五十二万石黒田家中、関ヶ原当時鉄砲頭だった今は二百石取りの馬廻り衣笠三郎兵衛。
江戸の屋敷を訪れると、名前も名乗らぬ文殊屋に無礼を咎めるが礼金の多さに機嫌を直し語り始める。

上杉征伐に向っていた東軍は、三成の挙兵を聞き、取って返し、美濃国で東西両軍が対峙した。
東軍は家康本隊を赤坂の地に向え、大垣城に籠る三成ら西軍とにらみ合う。今にも城攻めが始まるのかと思いきや、夜中に陣触れがあり出陣となった。
賊軍(西軍)は大垣城から抜け出し西へ向かったため、追尾すると言う。
土砂降りの雨の中、四里ほど歩き関ケ原へ。
夜が明けると雨は小降りとなったが、濃い霧で何も見えない。八万の大軍の気配だけは濃厚だが、地理にも不案内で心細いことこの上もない。

霧が晴れないまま、鉄砲の音で開戦を知る。
敵を求めて右往左往するなか、やっと霧が晴れてきて、目の前には大一大万大吉の旗が。
なんと敵将石田三成の馬印ではないか。
しかも敵は、笹尾山を背にして高みを占め、とても急造とは思えない堀と土塁をめぐらした陣地に入っていた。
気づいた時には、もう遅い。一旦攻めかかってしまった以上、不利とわかっても後へは引けぬ。
引けばすなわち負けで、御味方は崩れ立つ。攻め続けるしかない。

鉄砲の打ち合いの後、お味方が敵陣に取りついたが、集中砲火を浴び退くと、敵が追撃してくる。一、二町も押し返すと、敵はさっと引く。
また、お味方が敵陣に取りつくが、押し返される。この繰り返しでお味方の損害ばかりが増えていく。
我が黒田家だけでなく、丹後の細川、伊予の加藤、藤堂など諸将が攻め寄せるが攻めきれない。結局戦は小早川の裏切りであっけなく西軍の総崩れとなった。

三成は豊臣家の奉行だったから太閤の威を借る狐で、太閤亡き後も豊臣家の威光で諸将を反家康に起ちあがらせた。
関ヶ原の布陣と、東軍をまんまと包囲の罠に誘い込んだ戦手立ては見事と言えるが、裏切りや日和見を見極められなかったうかつ者よな。
戦の道理は、もちろん権現様にあるに決まっている。天下を治める器量が勝敗をわけたのだ。


その他にも、福島正則家臣、関ヶ原には直接参戦しなかった加賀前田家浪人、真田家旧臣など、東軍方西軍方合わせて11人に、江戸だけでなく上方まで足を運び、同様の話を聞き書きした文殊屋は、何とか仕事を成し遂げた。

物語の最後に依頼主が明かされ、なぜこのような依頼がなされたのかも明らかになる。
依頼主は、三成ゆかりの人であるが、徳川幕府盤石の時代、皆が幕府に恐れおののくとき、この人がとった行動は驚嘆せざるおえない。
武士の矜持を最後にみせた人である。


「三成の不思議なる条々」岩井三四二著 光文社文庫 978433477515


橋本

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