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K-ボイス

歴史への招待 68) 野望の憑依者(よりまし)

2017/08/11 6:47:

足利家執事、高師直(もろなお)と高氏(後の尊氏)は、足利勢二千を率い、総大将名越高家の元、反乱軍鎮定に向う五万七千の軍勢の一翼を担い、鎌倉を立ち上洛途上にあった。

1331年、元弘の乱で挙兵した後醍醐天皇は、鎌倉方の大軍に完敗し、隠岐へ配流されていた。
しかし、帝の三男護良(もりよし)親王を中心に、河内の楠木正成、播磨の赤松円心らが再度挙兵、反乱の野火は瞬く間に広がり、またも武力討伐をせざるおえなくなっていた。

こたびも鎮圧できるのだろうか。不安に思う師直は、高氏・直義兄弟に敵方を探るよう提案し受け入れられる。
案の定、宮方に付くものは多く、西国は反鎌倉一色に染まっているとの風説まで。
足利勢は後醍醐帝に内応を誓いながらも旗幟を鮮明にせず、日和見を決め込み、総大将高家が敗れると、宮方を表明し六波羅を攻め落とす。

尊氏と直義は、建武新政では多大な報奨と官位を得るも、政治の実権からは遠ざけられる。
尊氏は謀叛を疑われ追い詰められていくが、旧鎌倉勢力の反乱に乗じて、敵方を破り鎌倉に居座り、勢力拡大を図った。
尊氏が巻き返しの為、君側の奸新田義貞を討つことを表明し上洛軍を起こすと、後醍醐帝は尊氏・直義兄弟追討の綸旨を下し追討軍を差し向ける。

賊軍となったことで意気消沈引きこもってしまった尊氏。主君のいない上洛軍は、三河、駿河で大敗したが、師直が尊氏を奮い立たせたことで形勢は逆転、敵方の内応もあり箱根で大勝。
尊氏は勢いをかって上洛するが宮方奥州軍が到着するや、またもや逆転、京を落ち九州へ。
九州では、宮方を奇跡的に破り、反撃に転じ、兵庫湊川での大勝により京を回復する。

一連の紆余曲折を経て、尊氏は新帝より征夷大将軍に任じられ幕府を開き、後醍醐帝は吉野に退き南北朝の二帝時代に入る。
共通の敵がいなくなると、仲たがいを始めるのはいつの世も同じ。元々性格的にも合わなかった師直と直義は、足利政権ナンバー2の座をめぐって主導権争いが激化していく。

鎌倉幕府の政治を理想とする直義は、公家や僧侶と武士の共存を図り、しかも武功や能力よりも家格や嫡庶で武士を差別することが政権の安定につながると思っていた。
力=能力・実績のあるものを抜擢、優遇させようとする師直と、ことごとく対立する。

遂に二人の仲は決裂、先手を打ったのは直義。師直暗殺を企て未遂に終わるが、尊氏を動かし師直を隠居させ一切の政務から身を引かせた。
まさか直義が、自分の暗殺まで企むとは思わなかった師直の油断が招いた結果だったが、政権を掌握した直義にも隙が生じ、わずかニケ月後には師直の弟師泰に逆襲され尊氏の屋敷に逃げ込むことになる。

師直は尊氏邸を包囲するも迷っていた。
足利家家宰として尊氏一筋に仕えてきた自分と、力がすべて力あるものが天下を支配するという野望との葛藤の末、義直の隠居で決着させてしまう。
尊氏に対し非常になりきれなかった師直の手から、掴みかけていた天下はすり抜けていった。

その後、師直と高一族は、汚名と共に悲劇の結末を迎えることになる。

「野望の憑依者」伊東潤著 徳間文庫 978419894235


橋本

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