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【おすすめCD】KaBoSベル店

2017/06/06 17:55

《俳優・菅田将暉デビューシングル6月7日発売》
俳優・菅田将暉が、au三太郎サッカー応援CMソングとしてオンエア中の楽曲
「見たこともない景色」を、デビューシングルとしてリリース!
初回盤は、「見たこともない景色」ミュージックビデオを収録したDVD付。

先着特典として、ポスターをプレゼント中です!
(特典ポスターは、無くなり次第終了となりますので、お早めにご来店ください。)

歴史への招待 61) 黎明に起つ

2017/06/01 6:01:

物語の主人公は、北条早雲こと伊勢新九郎(盛時・宗瑞)。
新九郎は、政所執事伊勢貞親を宗家とする庶家備中伊勢氏、伊勢盛定の次男として京に生まれる。
兄貞興(さだおき)は、京で室町幕府申次として備中伊勢氏の将来を担い、次男の新九郎は備中の所領を管理するため備中荏原荘で幼少期から育った。

備中での平穏な暮らしは長続きしなかった。
十二のとき京では、将軍義政の跡目争いと、畠山氏・斯波氏の内紛などが絡んだ応仁の乱が勃発。
新九郎は、宗家のために証人(人質)となり、貞親と反目し伊勢国に逃れた将軍義政の弟義視を帰洛させるため荏原荘を旅立った。

義視とともに戻った京で目にしたのは、一面の焼け野原とおびただしい死骸の山だった。
京に戻ってすぐに敵方西軍の一色勢が義視邸を襲い、その中にいるはずのない兄貞興を見出してしまう。
義視を守る新九郎と貞興は、なりゆきから闘うことに。気が付けば兄貞興を討ち果たしていた。
呆然とし失意の新九郎は、出家しようとするが父盛定にこう諭される。
「わしや亡き新八(貞興)は、民のためより良き世を創ろうとしてきた」しかし、
「高位の者は、地位や財に縛られ利害を生み、利害の反する者と対立する魔と化している」
「そなたは大地に根をおろした生き方をせよ」

父に諭され荏原荘に戻った新九郎は、戦乱に荒れ果て、疫病に悩まされる民を救おうと私財を投げ打ち救恤小屋を設けるが、押し寄せる流民をすべて救うことなどとてもできない。
疫病が下火になったとき残ったのは、巨額の負債のみだった。

新九郎は、一族を守る為、意を決して上京する。魔の巣窟に身を投じ、幕府申次となるために。
京に戻った新九郎の見たものは、政道を顧みず、私利私欲に翻弄される魔物たちだった。
民の為、いつか「わしはこの国に楽土を築く」。
京での暮らしが長引くにつれ、漠然とした思いは信念へと変わっていった。

姉の依頼を受けて駿河へ下向した新九郎(盛時)は、先の駿河守護今川義忠と姉桃子の遺児竜王丸を今川家の家督に据えることに成功し、駿河に所領を持つ身となる。

これが後の北条氏関東制覇の足掛かりとなる。
将軍義政の庶兄、伊豆の堀越公方足利政知急死とその後の関東管領山内上杉家と古河公方派の台頭、さらに次の将軍足利義材との連携は、応仁の乱以後の乱れた世を立て直し、将軍家の権威を復し、民のための世を目指す細川政元らに、新将軍の擁立と政治体制の一新を決意させる。

新九郎は、細川政元の依頼を受け、亡き堀越公方政知の正室満と、遺児潤童子を惨殺した政知の庶子茶々丸を打つべく伊豆へ向かう。
伊豆の制覇は、新たな一歩に過ぎない。果てしない戦いの開幕でもある。
民の為、日本国を楽土に変える為に。


「黎明に起つ」伊東潤著 講談社時代小説文庫 978406293424


橋本

『はぴねすダンス』CD発売!!

2017/05/23 15:14

2018年に開催される福井しあわせ元気国体・大会に向けて、
県民のみなさんの健康・体力づくりにもつながる
「はぴねすダンス」のCDが発売になりました。
税込み500円で県内の勝木書店全店で絶賛販売中です。

今日はSuperKaBoS新二の宮店に『はぴりゅう』が来てくれたよ!
お客さんと握手したり、レジに入ったりと、熱心にCDを売り込んでくれました。
みんなで福井国体をもりあげよう!

SuperKaBoS新二の宮

『ニャンとワンだふるな写真を撮ろう』SuperKaBoS新二の宮店

2017/05/22 18:00

ただいま二の宮店では皆様から可愛い動物写真を募集しています。

まずカメラをトリだして、かいぬしとねころんだ写真でも、のうさぎょうするたぬきの写真でも
ふぇれーっとしたゆるい感じの写真でもかまわんのです。
きゃっと驚くようなステキな写真、お待ちしております・
ぎょっとするようなへびーなのはケッコーです。
応募締め切りは6/30まで。
写真はお店に随時掲載しますのでお楽しみに!
みなさまの投票期間は7/1〜7/10まで。
一般投票で好評だった上位5名様に、にゃんともすてきなカボス賞をプレゼントいたします。

メールでも直接お店にご持参していただいてもどちらでも結構です。(ninomiya@katsuki-books.jp)
※メールには件名に「わんにゃん写真コンテスト係」と明記してください。

ペットはもちろん、ご近所や動物園で見かけたベストショットをおまちしております!

SuperKaBoS新二の宮店より

【病害虫対策フェア】SuperKaBoS新二の宮店

2017/05/22 17:58

田植えが終わってひと段落のこの季節、暑くなってきましたが
農作業中の皆様は、毎年「虫」に悩まされていることでしょう・・・。
農薬を使ったり使わなかったり、天敵に頼ってみたり・・・。
カメムシ、ナメクジ、アブラムシ!

勝木書店新二の宮店は
福井で(おそらく)一番農業に関する本が豊富です!

虫に負けるな!農作物!病害虫対策フェア開催中です!!

新二の宮店 越出

歴史への招待 60) 天下人の父・織田信秀

2017/05/21 6:27:

信長の父信秀について主に書かれた本は、一部の歴史書を除いてほとんどなく、信長について数多くの著作を有する谷口氏のこの著書は、信長を知る上でも非常に興味深いものです。

織田家は、守護代家の織田伊勢守家が嫡流で代々尾張の守護代を務めてきたが、応仁・文明の乱を経て、支流の織田大和守家が次第に力をつけ、敏定のとき幕府より守護代に任命される。
その後、伊勢守家が尾張上四郡、大和守家が下四郡を支配するようになるが、次第に実権は守護代の家臣、奉行衆に移っていく。

大和守家の三奉行の一つ織田弾正忠家の発展は、信長の祖父信貞(信定)の津島支配に負うところが大きい。
当時の津島は、伊勢湾に近い港町で、加えて全国規模の信仰の対象だった牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)の門前町でもある有数の商業地だった。
津島の経済力を支配下に収めた弾正忠家は、信秀の代には津島と同じ港町で、熱田神宮の門前町でもある熱田をも支配下に納め、その経済力は他家を圧倒し尾張の盟主の地位に就いた。

信秀は、尾張国内だけでなく、北は美濃の齋藤氏、東は今川氏とも対立し、時には尾張内の勢力争い、時には尾張の盟主としての対外戦争と、席の温まる間もない状態でしたが、尾張・三河の国境に位置する水野氏と同盟し、嫡男信長に美濃の齋藤道三の娘を迎えることで和睦を成立させ、孤立からは脱することが出来ました。

しかし、その後信秀は病魔に侵され、42歳の若さで世を去ります。
信長の信秀葬儀での有名な奇行や、後の弟信勝との対立から、信長と信秀には親子の確執があったのではないかと言われていますが、信秀は終始信長を家督として処遇しています。

信長は、よく独創的で革新的な人物と評されるのですが、多くのことを信秀から学んだのではないかと思われます。
信長の代表作とも言われる「楽市楽座」にしても、信長の領域すべてで実施されたものではなく、早急に城下町を発展させたい思惑から安土など一部で行われたに過ぎず、これは経済を地域支配の根源とする信秀の考えを受け継いだもので、京や堺では逆に既存の商人を保護しています。

宗教の弾圧についても、信長は信仰を否定した訳ではなく、信長の支配を受け入れない一向宗を敵としたもので、他の大名家との戦いと元は同じなのです。

信長の外交と戦い方についても、信秀の影響が強く表れています。
自分自身の結婚自体が政略結婚でしたが、道三との同盟は、その後の信長に大きな利益をもたらし、危機を救われています。このことに鑑み、信長は兄弟や子供の結婚を同盟の絆とする血縁外交を多用します。
また、戦いでは、信秀同様籠城戦は一度もなく、常に外で戦うことを旨としています。援軍のない籠城は死を意味することを理解している信長は、誰が見ても勝ち目のない今川義元との戦いでも、活路を見出し勝利を導きました。

最後に居城の変遷です。
信秀は、勝幡(しょばた)城、那古野城、古渡城、末盛城と本拠を移し、信長は、那古野城、清須城、小牧城、岐阜城、安土城と版図の拡大に伴い居城を移しています。
躑躅ヶ崎館を動かなかった信玄、春日山城の謙信、小田原城を五代を通じて居城とした北条氏など本拠地を変えないのが一般的なのに比して、信秀、信長とも、その時の状況に応じて最も優れた地に本拠を定めている。信秀の合理性を信長も受け継いでいると言えるでしょう。

このように信長は、多くを父信秀に学び、父の行いを倣い、時には父を乗り越え天下人への道を歩んでいったのです。


「天下人の父・織田信秀」谷口克広著 祥伝社新書 978439611501



橋本

【カレーフェア】KaBoS宮前平店

2017/05/15 16:38

みんな大好き家庭料理の定番「カレー」。私もカレーは大好きでして、そのためにカレーの街と呼ばれる神保町にある大学を選んだくらいですからね。
ちなみに、神保町のとあるカレー屋さんでは辛さが選べるんですけど、そのランクが72段階もありまして、いやそんなに細かく差別化できないでしょ、というツッコミはともかくとして、味に関しましては文句なしとなっておりますので、興味がわきましたら是非足を運んでみてはいかがでしょう。

閑話休題

実際カレーが嫌いな人ってあまりいませんし、嫌いっていうのもおそらくただの強がりで本当は好きなんじゃないかと私は睨んでいるくらいですよ(過言)。
しかしですね、では大好きなカレーのことならなんでも知っているのかというと、案外そうでもないわけでして、おいしいお店を探して食べに行ったりはするけれど、自分でつくる分には市販のルゥを買ってきて溶かし入れるだけ、また、そもそものカレーの成り立ちや歴史、その文化的背景といったものにまで思索を巡らすまとではいかない、なんて人が大半かと思われます。

果たしてそれでいいのでしょうか。

カレー鍛錬を怠ったあなたは、ある日ストリートでカレー勝負を挑まれ、相手の圧倒的なカレー知識量、カレー愛の前になすすべもなく敗れる。精神的支え、自信、そして生きがいをうしない、酒と女に逃避する日々…脳裏に過ぎるのは幼き日に食べた給食のカレー…ダルシム……
そんな暗黒未来を打ち破るためにあなたはなにをすべきか、その答えをあなたはすでに知っている。そう、KaBoS宮前平店に赴くのだ。現在そこではカレーフェアという夢のようなフェアを展開しており、あなたはその圧倒的カレー情報量の前に打ち震える。
「カレーは熱いうちに食え」というインドのコトワザがある。この記事を読んだあなたはすぐさまウィンドウを閉じ、KaBoS宮前平店へと急行すべきだ。さすればその先には輝かしく華麗なる未来が待っているだろう……

宮前平店

【神話フェア」KaBoS宮前平店

2017/05/15 16:35

一般的に、欧米をはじめとする海外文学作品に対しより深いアプローチを行う際、聖書やシェイクスピアの知識が必要とされるといわれておりますが、果たしてそのふたつだけで事足りるのか?また欧米以外では?
そこで必要となってくるのが「神話」や、それに類する「古典」、「伝承」といったものではないでしょうか。というより、そもそも聖書自体が神話と呼んで差し支えないもので、シェイクスピアも当然その聖書等の神話の影響を受けています。

人々の間で当然の知識、価値観や思想の基として共有される物語が神話であり、引用やモチーフといった形で意識的にも無意識的にもその創作物に表れてくるものであります。
直近の例で言いますと、現在公開中の『美女と野獣』の劇中に『アーサー王伝説』の引用がありますし、今夏公開の『トランスフォーマー』も副題が『最後の騎士王』となっておりまして、これもアーサー王がモチーフですね。(アーサー王好きすぎでは?)また、ファンタジー作品ですと北欧神話やケルト神話のキャラクターの名称がそのまま使われるなどしております。

モチーフの基となっている神話を知れば、いままで見てきたさまざまな作品もまた違った角度から見ることができるのではないでしょうか。

宮前平店

【国旗さがしっこイベント】SuperKaBoS新二の店店

2017/05/11 12:10

「5月13日(土曜)、5月14日(日曜)の2日間、店内にて国旗さがしっこイベントを開催します。
 店内に隠された6カ国の国旗をさがして、クイズに答えよう!
 全部答えると、自分で作れるえいごミニミニブックとおまけがもらえるよ。
 みなさんの参加おまちしております。」

新二の宮店

歴史への招待 59) その後の慶喜

2017/05/11 6:56:

最後の将軍、徳川慶喜。
大政奉還をなして、徳川幕府に終焉をもたらした。鳥羽・伏見以降は朝敵となることを嫌い、ひたすら恭順を貫き、脆弱な新政府軍と旧幕府軍との本格的な内乱を防いだとも言える。

上野寛永寺から水戸へ向かう慶喜。歴史上の慶喜はそこで終わりです。
しかし大政奉還時32歳。慶喜はその後大正時代76歳までひっそりと生きたのです。
徳川慶喜について書かれた本は、将軍就任前から、大政奉還までを取り上げたものがほとんどで、その後半生はほとんど知られていません。

わずかに1982年発行の「聞き書き 徳川慶喜残照」に慶喜身の回りの人々からの聞き書きとして後半生を紹介しているくらいのものでした。

たしかに慶喜は大政奉還後、その歴史的意義を失ったのかもしれません。それに権力者が没落する例は、洋の東西を問わず枚挙がなく珍しくもなんともないでしょう。
しかし、多くの事例では旧権力者は、死亡したり行方不明だったり、幽閉され悲惨な末路をたどることが通常なのに比して、慶喜は平凡な後半生を送り、畳の上で亡くなっていることが非凡と言えるのです。

本書では、慶喜が長い静岡時代にどのような生活をを送っていたのか。
慶喜が旧幕臣にどのような対応をとったのか。
徳川宗家と慶喜家の関係、朝廷・皇室への慶喜の対応とその変遷などを、慶喜家の「家扶日記」(家宰が記した慶喜家の記録)から紹介しています。

慶応四年七月に水戸から静岡へ転居した慶喜は、ここでも徳川家の菩提寺宝台院での謹慎生活を続ける。
謹慎・恭順の姿勢は、先に挙げた通り、鳥羽・伏見以降一貫して貫かれているのですが、幕臣の中では少数派だった勝海舟、大久保一翁、山岡鉄太郎らの恭順派とも言える人々の意志が強く働いていて、静岡での隠居生活にも大きな影響を与えていました。

勝海舟らは、慶喜の助命、徳川家の存続に奮闘し、慶喜と徳川宗家を救ったとも言えますが、多くの幕臣から見れば、慶喜を含め裏切り者であり、許せない存在だったのでしょう。
それが、慶喜が旧幕臣に頑なに会おうとしなかった理由でもあるのです。

慶喜の謹慎が解けた後の私生活は、ごく親しい人々と趣味に没頭し、子宝にも恵まれ平穏な日々を過ごすことになりますが、公の場に出ることは徳川宗家を隠れ蓑に拒み、政治的な発言は慎重に避け続けています。

そんな慶喜に転機が訪れるのは、東京巣鴨に転居し、新たな交流関係が生まれた明治三十年以降です。
明治三十一年には、初の参内を果たし明治天皇・皇后との拝謁が実現する。
この日、慶喜と明治天皇は会見するだけでなく、親しく酒肴を共にし、お互いのわだかまりを氷解させたようです。
この後は、宮中行事には欠かすことなく招待され、皇室との関係は円満に推移し、明治三十五年には人臣最高の公爵にも列せられ、貴族院議員にも名を連ね名実ともに名誉を回復する。

征夷大将軍から一転して朝敵となり、逼塞の日々を強いられた慶喜は、明治の元勲と言われる人々、木戸、西郷、大久保や伊藤、明治天皇よりも長生きし明治と言う時代の誕生から終焉までを見届け、何も語らず大往生と言える生涯を終えるのです。


「その後の慶喜」家近良樹著 ちくま文庫 978448043422


橋本