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2018/02/01 7:01: 歴史への招待 85) 雪に咲く

小栗美作(みまさか)は、寛永3年(1626)越後高田松平家の筆頭家老の嫡男として生まれた。

越後高田藩は、元は越前松平家68万石の惣領筋で、二代目忠直の不行跡からの改易で26万石に減らされ、高田へ転封されていた。
禄高を旧に復すには、開墾しかないと藩をあげて新田開発に取り組んでいた頃、藩主光長の父忠直が配流先の大分豊後で没すると、異母弟妹3人、市正(いちのかみ)、大蔵(おおくら)、お閑が高田へ引取られてきた。

お閑に一目ぼれした美作は、三弟妹初お目見えの席で、お閑を嫁にと光長に申し出て許しを得てしまう。
普段は控えめな美作だが、肝心のことには果断に対処する。
大地震で、父を亡くし、城だけでなく城下も壊滅した高田藩を復興させたのは、美作や同じ父の家老職を継いだ幼馴染の荻田本繁(もとしげ)らの若い世代の行動力と発想力だった。

次々と改革の矢を放ち、見事に高田を復興させ、さらに発展させることが出来たのは、一つには幕閣の大老酒井雅楽頭との太い絆から五万両もの大金を幕府に出させることができたことと、若手の下級藩士を多数登用し藩政改革を行ったことにあった。

しかし、藩政改革と高田の街の振興は、一方では譜代の上級藩士の反発を招く結果となった。
藩の財政改革のための知行制から蔵米制への変更も、余得がなくなる大身の者ほど不評だった。

そこへさらに追い打ちとなったのが、藩主光長の継嗣、綱賢(つなかた)が四十二歳の壮年で亡くなってしまったことだ。
綱賢には子がない。光長の異母弟市正はすでに亡く、市正の子、万徳丸十三歳と、市正の弟、大蔵四十三歳が世継候補となった。

血筋から万徳丸を押す美作。藩主光長の絶大な信頼を得ている美作の推挙により、万徳丸は継嗣と定められ一件落着かと思いきや。
大蔵と譜代家臣の不平分子が徒党を組み「御為方」と称し、美作ら改革の主流派を「逆意方」と呼び対立を深めていく。
これが越後騒動のはじまりである。

争いの元は、私利私欲による不満である。誹謗中傷が高じて、徒党による一揆に発展する。
しかし、高田藩の本当の悲劇は、後に綱吉が将軍となることにあるのだが・・・。


「雪に咲く」村木 嵐著 PHP文芸文庫 978456976798

橋本