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2017/10/01 6:13: 歴史への招待 73) 早雲立志伝

三保松原から富嶽を眺める若武者がいる。
葦毛の駿馬に跨り、対蝶(むかいちょう)の透かし紋を散らした紫黒の大紋直垂をまとい、金梨地の鞘に青貝細工を施した飾太刀を佩いている。
一瞥しただけで名のある武家の御曹司とわかる美装だった。

伊勢新九郎盛時(早雲)は、父備中守盛定の名代として、京から駿河に下ってきた。
盛定は、八代将軍足利義政の申次衆であり、駿河守護今川義忠と幕府の取次役を務めてきた。その縁から、盛時の姉が義忠に嫁ぎ嫡男龍王丸をもうけていた。
今川家と伊勢家は、緊密な親戚となり、両家の将来も安泰と思われたのも束の間、義忠は遠江の合戦にて討死してしまった。

突然の不幸に今川家中は動揺し、龍王丸がわずか六歳だったため、家督相続をめぐる内訌となってしまった。
姉の北川殿から助けを求める書状が届いたが、盛定は応仁の乱後の公方の座を巡る争いが続いており、止む無く盛時を名代として駿河に下向させたのだった。

しかし、今川家の内情は思っていた以上に切迫しており、状況は最悪で予断を許さない状態だった。龍王丸の従叔父にあたる小鹿範満(おしかのりみつ)を押すのは、家中だけでなく伊豆の三浦氏、相模の大森氏、さらに伊豆の堀越公方、扇谷上杉家に及び、堀越公方からは執事、犬懸上杉正憲、扇谷上杉家からは家宰太田道灌まで出張って来ている。

武力を背景とし一触即発の荒々しさで始まった評定では、盛時ら龍王丸派は京の意向で押し切ることは出来ず、やむなく折衷案として龍王丸元服までの間、小鹿範満を総領代行とする案を提示する。
この案に以外にも道灌が賛成し、すんなり纏まるかにみえたが、代行とはいえ範満が駿府館にて政を取り仕切るべきとの筋目論で、龍王丸は館を追い出される羽目に。
道灌にまんまとしてやられた盛時。屈辱の中、再起を期す。

あれから十年。
龍王丸が16歳になっても元服を認めようとしない範満を討つ。
十年の間に今川家を巡る環境に変化が生じていた。道灌は主家扇谷上杉定正に暗殺され、堀越公方と執事上杉正憲は不和となって、他からの介入は恐れる必要はない。
さらに今回、盛時は用意周到に、管領細川政元を通じ将軍義尚より龍王丸の駿河守護職就任を認めた御教書、範満らを謀叛人と断定し誅罰を命ずる御内書を得て、さらに伊勢家の軍勢を密かに呼び寄せ駿河館を襲った。

計画は成功し、小鹿範満と上杉正憲を討ち、龍王丸(氏親)を守護職に就けることが出来た。
この功により、盛時は駿河に所領を持つ身となり、また堀越公方足利政知の信任を得たこと、将軍足利義尚、管領細川政元と深く結びついたことは、後の伊豆、関東への足掛かりとなる。

この後、運命の糸に導かれ、京の政界から身を引かざる負えなくなった盛時は駿河に下向し、今川氏親の家臣となり、伊豆の政変に係わらざる負えなくなるのだ。

ただ、この時の盛時は、まだそのことを知らない。

「早雲立志伝」は、伊勢新九郎盛時の前半生。父の名代として駿河に下向してから、今川氏親の家督相続を成し遂げ、伊豆、相模の小田原へ進攻するまでの物語である。
著者自身が、後説の中で明かしている続編、「早雲立国伝」が早雲の後半生にあたり、後北條家の基礎を築いた早雲の全貌が明らかになる。


「早雲立志伝」海道龍一朗著 集英社文庫 978408745626


橋本